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東大病院・救急部長が語る死後の世界2

「人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索 (矢作直樹著)を読みました。

 以前、「東大病院・救急部長の語る死後の世界」が週刊現代に紹介されていた。 それを当ブログで取り上げたことがあります。 たまたま近くの書店に行ったところ、東大病院・救急部長の著作 「人は死なない」 が店頭に並べてあったのが目にとまり買い求めました。

 週刊現代の記事を読んだ時感じたことは、現役の東大病院・救急部長という肩書きの医師が”オカルト”と言われるような内容のコメントを週刊誌に載せていいのかなアーとその時は思いました。 しかし、矢作直樹氏は出身大学が金沢大学医学部と知ったとき、それならありうるかなと納得した。 思うに、多分、東大医学部卒の医師でしかも東大病院・救急部長ともなれば、このようなオカルト的なことは書かないと思う。

 さて、「人は死なない」であるが、著者矢作直樹氏は病院という生と死の現場に長年勤め、非日常的な現象を多く見てこられた結果の著述である。 だからこそ物質的な証となるものがないスピリチュアルについても説得ある表現ができるのかなと感心しました。 特に、著者の母親の死(誰にも看取られない死)と再会(霊媒を介して)の体験があったからであろう、死後の世界の存在の確信は一層強くなったのではないでしょうか。 是非読んで頂きたいと思います。

 最後に著者はこのように締めくくっています。 

 『人の一生は一瞬の夢にも似たごく短いものです。だからこそ、人は現世に執着するのかも知れません。 愛する人の死を悼み、自分の死を恐れる。 その気持ちは良くわかります。 しかし摂理、霊魂の永遠に思いを重ねつつ、今に没頭すれば、肉体の死を恐れることなく勇気を持って生きることができるのではないかと私は思います。』 (P217)

 『寿命が来れば肉体が朽ちる、と言う意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、と言う意味で「人は死なない」。 私は、そのように考えています。』 (p218)

 上記「人は死なない」と同時に「仏教の真実」田上太秀著 (講談社現代新書 H25年8月20日が初版である)を購入した。 著者は駒澤大学名誉教授である。 「人は死なない」を読了後、続けてこの本を読みました。

 「仏教の真実」で気になったところの一部を紹介します。 P208~P209です。

 『「しきそくぜくう」とはこの意味である。 つまり肉体に霊魂や神などが宿ると思い込んでいる人に、じつは肉体にはそのようなものは内在していないことを、「空」と教えた。 永遠なもの、実体、つねに変わらないものがみな存在しないことを空と言ったわけである。 肉体が無いのではなく、肉体に不滅なものは無いと言ったのである。
 肉体に宿るという神や霊魂は人の想像の産物にすぎない。 霊魂や神に触った人がいるだろうか。 触った人がいたら、霊魂の形や神の姿を見たことになる。 見たというなら、霊魂や神はどこにいたのだろうか。 神のことばを聞いた人がいるだろうか。
 また、肉体に宿る命は永遠という人がいる。 各人固有の命があると思い込んでいる人もいる。 その人たちは死後、己の命はつぎの世に再生すると考えている。 その人たちはつぎの世にまた人間に生まれ変わるという。 みな妄想にすぎない。 己の命が永遠だとだれが言ったのか。 だれがつぎの世で人間に生まれ変わると教えたのだろうか。 みな不可解なことをいかにも現実にあるかのように思い込んでいる。

「人は死なない」を読んだ後だけに「仏教の真実」には大変ガッカリした。 この仏教学者も「人は死なない」を読んでみてはどうだろうか。 現役医師の体験談は、妄想で片付けることはできないと思う。 それでも妄想だと決めつけるなら、いずれこの仏教学者にも死が訪れるだろうからその時に理解するだろうが、死後の状況をせめて学生達に伝えて欲しい。

 釈迦は、霊魂とかあの世とかについての質問は無視した。そんなこと考えるのは修行の妨げになるからだそうだ。 しかし、釈迦が無視して答えなかったからといって、霊魂とかあの世が無い、ということにはならない。 

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