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過去に目を閉ざす者 現在にも盲目に 

 統一ドイツの初代大統領となったリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏の「荒れ野の四十年」演説(1985年5月8日)要旨が「過去に目を閉ざす者 現在にも盲目に」と題して、中日新聞朝刊(2015年2月4日)に掲載されました。その一部をご紹介します。

 ドイツの良心といわれた人物の言葉です。1985年の演説ですが、言葉に含蓄があります。「ヒトラーは常に偏見と敵意、憎悪をかき立てるようにと努めていた。若い人たちにお願いしたい。他人への敵意や憎悪に駆り立てられてはならない。対立ではなく、互いに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。・・・・・」

 折しも、「イスラム国」の日本人人質などの殺害という所行に、非イスラム教の国々ばかりでなく、同じイスラム教徒からも憎悪と復讐の声があがっています。しかし、これこそ「イスラム国」の裏に潜む闇の勢力が期待するものです。
 闇の勢力は、地球上のあらゆるところに憎悪、復讐心などネガティブなエネルギーを蔓延させ世界戦争を引き起こそうと、今、まさに最後のあがきをしています。ここで善良な一般市民が、敵意や憎悪に駆り立てられ、「イスラム国」と同じ舞台に立つようなことになると、今度は逆に善良な一般市民がカルマを背負い込むことになります。せっかく上げたバイブレーションを下げてしまいます。取り敢えず「イスラム国」については無関心、無視を決め込んでネガティブなエネルギーを増やさないようにしましょう。

 ここからです。

 ・・・・・・略・・・・・
 確かに、歴史の中で戦争と暴力に巻き込まれることから無縁の国などほとんどない。しかしユダヤ人の大量虐殺は歴史上、前例がないものだ。

 この犯罪を行ったのは少数の者だった。あまりにも多くの人が、起こっていたことをしろうとしなかった。良心をまひさせ、自分には関わりがないとし、目をそらし、沈黙した。戦争が終わり、ホロコーストの筆舌に尽くせない真実が明らかになったとき、それについて全く何も知らなかったとか、うすうす気付いていただけだと主張した。

 ある民族全体に罪があるとか罪がないとかいうことはない。罪は集団的ではなく個人的なものだ。発覚する罪もあれば、ずっと隠されてしまう罪もある。あの時代を生きたそれぞれの人が、自分がどうまき込まれていたかを今、静かに自問してほしい。

 ドイツ人だからというだけで罪を負うわけではない。しかし先人は重い遺産を残した。罪があってもなくても、老いも若きも、われわれすべてが過去を引き受けなければならないということだ。

 問題は過去を克服することではない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりすることはできない。過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になる。非人間的な行為を記憶しようとしない者は、再び(非人間的な行為に)汚染される危険に陥りやすいのである。

 人間の一生、民族の運命という時間の中で、四十年の歳月は大きな役割を果たしている。この国には、新しい世代が政治的な責任を引き受けられるまでに成長してきた。かつて起きた事について若者に責任はない。しかし、その後の歴史で生じたことに対しては責任がある。

 われわれ年長者は、過去を心に刻んで忘れないことがなぜ決定的に重要なのか、若者が理解できるよう手助けしなければならない。冷静かつ公平に歴史の真実に向き合えるよう、若者に力を貸したいと思う。

 人間は何をしかねないのか、われわれは自らの歴史から学ぶ。だからわれわれはこれまでとは異なる、よりよい人間になったなどとうぬぼれてはならない。

 究極的な道徳の完成などあり得ない。われわれは人間が危険にさらされていることを学んだ。しかしその危険を繰り返し繰り返し克服する力も備えている。

 ヒトラーは常に偏見と敵意、憎悪をかき立てるようにと勤めていた。

 若い人たちにお願いしたい。他人への敵意や憎悪に駆り立てられてはならない。対立ではなく、互いに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。自由を重んじよう。平和のために力を尽くそう。正義を自らの支えとしよう。

                            以上

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