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ヒーリング(再掲載)

 2010年8月22日の当ブログの記事『ヒーリング』を再掲載させて頂きます。前回の記事と合わせて読んで頂けると幸いです。
 
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 今年の6月の初め頃だったでしょうか、土曜日だったことをおぼえています。 朝6時頃だったでしょうか、カミさんが何度もトイレに行くので眼が覚 めてしまいました。 不審に思って聞いてみると、どうも膀胱炎らしいと言うのです。 下腹部が痛くて、お小水が出ないらしく、腹を押さえて顔をひきつらせ ます。 私は眠気が吹っ飛んで起きたのですが、カミさんは起きていると痛いので横になると言ってフトンの中に戻りました。 居間で新聞を読んでいますと暫 くしてカミさんがフトンから出てきました。 おとなしく横になっていても下腹部が痛くてたまらないようです。 私の方に背を向けて、ソファーの背もたれに おでこをくっつけるような格好でウーン、ウーンと唸っていました。

 そこで私はカミさんの背中にそっと掌を当てて、温かいかい? と聞いてみました。 「うん」 と頷きましたので 「じゃ、手を当てておくね」と 言って 暫くカミさんの背中に掌を当てていました。 5分ほど経過してからでしょうか、痛いからもう一度横になってくると言ってフトンの中に潜り込みまし た。 しばらくすると病院に行きたいと言って起きてきました。 たしか、歩いて10分位のところに婦人科があったと思うと言うので調べてみますと、確かに ありました。 午前中は診療があるということで、とにかく歩いて行くことになりました、カミさん一人で。
 病院へ出掛けてから2時間ぐらいした 頃、ただいまと言いながら帰ってきました。 患者さんが多くてずいぶん待たされてようです。 初診の申し込みをしたらすぐ採尿、何やらの検査の後にやっと 診察、といっても検査結果を見て医師曰く「膀胱炎ですね。薬を4日分出しておきますので様子をみてください」 だったそうです。 診察はそれで終わり。  2時間待って診察は1分だよ、と文句を仰っていました。 そこで聞いてみました。

私: どお、まだ痛い? 

カミさん: 少しね。 

私: すぐ採尿できた? 痛くなかった?

カミさん: すぐ出たよ。 そういえば、痛くなかったね。 

私: 薬飲んだ?

カミさん: まだ。 帰ったばかりだよ。

私: そうだね。 だけど治療がなく、薬も飲まないのにそんなに簡単に痛みはなくなるのかなー?

カミさん: ほんとだ。 歩いていったので、新陳代謝が上がって、免疫力が高まったからかなー。

私: ボクが手を当てたからだよ。 早く痛みがなくなるように祈りながらね。

カミさん: なに? それ、 まさかー。  

 といった会話をカミさんと交わしました。 結局私の ”手当” の効果を認識する事もなく、おまけに「他人にそんなこと言ったら”オカルトな奴”と思われてしまうから止めてよね」と念押しされる始末でした。 

 背中に掌を当てて、温かいと言う人には私の背後からのエネルギーがその人に送られるのかも知れません。 多分、推測ですが、その人の霊体にエネル ギーを送れば、霊体と肉体の結びつきによって患部があればそこを癒すことが可能かも知れないと考えています。 冷たいと感じる人には無理でしょうが。 

 図らずも、ふるやの森のサ・ルー・サが8/18のメッセージに ”・・・・・。 ソウルがバイブレーションを上げていく時に生じる例外的な事例がいくつかあります。 その最もありふれた例がポジティブなヒーリング能力です。 皆さんのすべてが一定程度それを行うことができますが、それは愛のバイブレーションによるヒーリングです。・・・・・・ ” と語っています。 元々人間にはヒーリングパワーがあるのですが、それを口にすると笑われてしまうから奥にしまってしまいます。  

水瓶座の時代になって、霊的進化を促すエネルギーが更に強くなって来ているのではないかと思っています。 私はいわゆるヒーラーではありませんので 確かなことはわかりませんが、私たちのヒーリングパワーも充分強くなってきているのではないでしょうか。 家族が病状を訴えたなら、緊急を要しないようで あれば、副作用が出る薬に頼るよりも、暫く背中か患部に手を当ててあげてはどうでしょうか。 家族との絆も強くなるでしょう。

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薬を飲んで治ることを信じるなら、「手当て」の効果を信じたい

 1月24日中日新聞朝刊に、サッカーJ2のFC岐阜の前社長恩田さんが闘病ブログを始めたことを紹介していました。恩田さんは全身の筋力が衰える 難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の病状が進み昨年12月に退任しました。闘病の日々とその心境を素直につづる内容で、多くの反響が寄せられているそ うです。

 その中で、18日のブログ、タイトル「想像してみて下さい」の一部が紹介されていました。その中で『鼻水も汗も唾液も、拭えず、垂れ流すしかない 情けなさを』 『自分の子供を抱きしめることさえ出来ない哀しみを』という文言に、涙を禁じ得ませんでした。昨年9月脳幹橋出血に倒れた母の闘病(亡くな るまでの約75日間でしたが)のことが重なって。
 
  私の母のことで恐縮ですが、母は脳幹橋出血という耳慣れない病名を付けられ、「年齢にかかわらずこの部位は手術できません。意識の回復は見込めません。今日を乗り切れるかどうか」と言われました。救急車に乗る3時間ほど前,私は母が友人2人と歩いているのを見、今日も元気そうだなと安心したばかりだったのですが。。。。 母は、以前より延命措置は要らな いと言っていましたし、意識の回復が見込めないのに、延命措置で生きながらえるのは、私もそれは望んでいませんでしたので、胃ろう等の延命処置などはしま せんと担当医に告げました。母の栄養は1日約80Kカロリー、500ミリリットルの点滴だけですので、年齢も考慮すると生命はもって2週間、長くても3週間でしょうと宣告されました。
 
 母は、2時間おきに体位変換してもらっていました。その都度ベロは顔の下側に、犬のベロのように出ていました。自分のベロすら動かすことができないため、気管の奥に落ちると窒息してしまいますので、引っ張り出されているのです。いくら意識が無いからといっても、こんな所を人に見られるのは嫌だろうな、と思い、お見舞いに来たいという母の友人に、丁寧にお断りしました。
 
 私は、母の発症から3日目あたりから、病室でこっそり母に「手当て」をしました。治療ではありません。単純に母の額に私の手を載せるのです。そして胸にも手を当てました。どちらも10分程度です。そして次に足の裏のツボを押しました。これを、入院している間毎日、約60日間続けました。手当をする前は、「私のエネルギ-を母に与えることをどうかお許し下さい」と、祈りました。また、両方の掌をこすり合わせて、少しずつ離し、手と手の間にあたかも風船を挟んでいるように感じられるまで、掌のこすり合わせを繰り返し、それから「手当て」しました。
 
 特に呼吸が苦しそうでしたので、少しでも呼吸が楽になるように祈りながら胸に「手当て」しました。母は、心拍数、呼吸数、血圧、酸素飽和度などの生態情報を監視するモニターにつながれていました。ある時、胸に当てた手をゆっくり回しました。そうしたところ、モニターの呼吸数が、8回/分程度だったのが100回/分近くまで跳ね上がりました。たまたま、モニターを見たカミさんが、ヤバイというので手を回すのは止めました。ナースセンターに直結していますので。異常値を知らせるモニターの、ビー、ビー、ビーと鳴く音は、私たちを驚かせます。
 
 10日目になって、母は目を開けました。しかし、それ以降自力で目を閉じることはできませんでしたが。私は、これは私の「手当て」の効果だと喜びました。カミさんは信じませんでしたが。目を開けてからは、「手当て」はもちろん、耳元で母に語りかけるとともに、デイサービスで撮ってもらった写真や、敬老会で踊った写真などを沢山持って行き、目の前に掲げました。母の眼球は垂直方向にだけ動き、水平方向には動きませんでした。A4サイズの塗り絵を縦にして見せたところ、上から下へ眼球が動き、そして持っている私の目を見つめ、次は?と催促しているように感じました。私は、母の意識は消えていない、目は見えていると確信しました。担当医師は、仮に見えたとしても脳にどんな像を結んでいるか分かりません。
 
 幸い個室でしたので、ICレコーダーに、母が踊っていた舞踊曲を録音し、耳元で鳴らしました。兎に角、身体の至る所に刺激を与えました。
 
 「母さん、ボクの言うことが分かったらベロを動かしてみて」と、母に語りかけました。「こんな風にね」と言って、私がベロを唇から出して、左右に動かしてみました。当初は何とも反応はありませんでしたが、かすかにベロの上に皺が寄るのがわかりました。「これは私の言うことを理解しているのではないかと考え、かみさんを呼んで母のベロの上をよく観察してくれるように頼みました。残念ながら何も起きませんでした。カミさんからは「身内の欲目じゃないの」、と言われて終わりました。
 
 母の口には乾燥防止のため普通のマスクを付けていました。48日目、いつものように病室へ行くと、母のマスクが動いているのがわかりました。何事かと思ってマスクを外してみますと、母のベロが動いているのです。「母さん、ボクのように動かしてみて」と言ってやってみせると、動きは遅いのですが意志を持って動かしているのが分かりました。母は、私の言葉を耳から取り入れ、理解し、眼から入る像もきちっと脳に結ばれていると確信しました。
 
 担当医にこれらの出来事を伝えました。看護師の方は「ホントだ、動かしている」と認めてくれましたが、担当医は次の日の朝自分の目で確かめるが如くチェックしてみたようですが、私の言ったような兆候は見られなかったようです。
 
 ある日、看護師さんが母の尿の分量が少なくなったと言っていました。また、尿の色が悪くなったとも言っていました。そこで私は、母の腎機能強化を願って手当てしました。さらに自宅に戻ってからは「聖なるヒーリング・コード」を寝ている母の胸に指で書いている様子を強くイメージしました。その効果は直ぐ現れ、看護師さんが「尿の量は戻りましたよ」と言っていました。「それは、良かった。ちょっとお呪いしたのですよ」と言っておきました。

 
 結果的に母は、60日間入院し、その後、看護師が24時間常駐する「老人ホーム」に移りましたが、そこでは2週間しか生きることができませんでした。私は、母の生涯設計の寿命を飛び越させるほどの能力はありませんでした。奇跡は起こせませんでした。しかし、母がホームに入所する際、ホームが契約している医師の診断がありました。心拍数、血圧、呼吸数、酸素飽和度、心音、呼吸音などは全く正常でした。90才を過ぎた母が発症後60日を過ぎて、80キロカロリーの点滴だけで脳以外の臓器が正常に動いていること自体が、私にとって奇跡でした。
 
 病院の担当医師の余命宣告はことごとく破れました。退院する際、担当医師は病室に来て、自分の見込みが外れたことに申し訳ありませんと、謝っていました。脳以外、心臓、肺臓などの臓器は非常に丈夫です。と言って頂けました。意識回復の見込みが少しでもあると分かっていたのなら・・・・・ただ、ただ残念至極。
 
 長々と文章を連ねましたが、結局は、家族による「手当て」を見直してみましょう、と言いたかったのです。私たち人間には、ヒーリング能力が備わっているのです。ただ、最初から自分には無理だと言い聞かせているのです。それなりの報酬を得てヒーリングするいわゆるヒーラーでなくとも、家族が病に倒れているのなら、愛情を持って「手当て」するのなら、愛というエネルギーは、その波動で病人の健康を回復させる事が可能かもしれません。実践する価値は十分あります。そして、人間の身体には害でしかない薬による治療は極力減らすべきだと考えています。
 
 緊急時は救急搬送は仕方ないとしても、緊急性のない段階なら、患部に「手当て」を実践してみて下さい。また、私はネット上にあったものを利用させてもらいましたが、「聖なるヒーリングコード」は効果が期待されると考えています。

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